今年、東京藝術大学大学院版画第一研究室を修了した髙橋健太の靖山画廊での初個展。修了制作を機に挑んだ新たなシリーズをメインに発表します。
学部時代日本画を専攻した髙橋は、日本画の伝統的な画材である岩絵具を主に用い、異素材との共鳴を試みます。表現上のアナログとデジタルの関係性を軸に二種の異なる性質(内側と外側)をもつ作品を隣り合わせに配置し、自身が考える絵画性の追求を通して日本画の現在地とこれからの価値観の再考に挑みます。
ARTIST STATEMENT
今年、あるポスターを購入した。コンピューター黎明期の1960年、Leon Harmon、Ken Knowltonによって制作された”computer nude”のシルク刷りだ。この作品は記号の集積で作られ、まるで網戸に描かれているような解像度の低いビットマップ画像だが、今日に至るまでの全てのデジタルイメージの始祖とも言える作品である。日夜情報の多さに辟易している自分にとってその情報量は、鑑賞者が想像することができる余地を残してあるような心地よさがあった。
日照を獲得するために窓を取り付ける。網戸やカーテン、ブラインドで外からの目線を隠す。一見矛盾しているようだが日光や開放感、換気(外からの恩恵)と遮光、プライバシー(外からの防衛)のバランスという点で成立している。これらはすべて部屋(内側)をより快適にするために設計されていることだ。
絵画は(時間や空間の移動も含め)空想を、またはより良い現実を視覚的に保存するという点で”異世界への窓”としてその立ち位置を成長させてきたと考えている。空間が切り取られたようにそこにあるはずのないイメージが投影されるものを異世界への窓とするならば、その役割は現代で使われる様々なモニターにも適用できる。高繊細になったラスタ画像はアナログによる出力と見分けがつかないレベルまで到達しており、マテリアルを神格化しなければ窓としての絵画の存在意義は維持できなくなってきているだろう(故に今日に至るまで様々な思想やメディアを加え、絵画は存続してきた)。
加えて現代におけるモニターはインターネットの発達により鑑賞するだけではなく、その世界にアクションを起こしイメージを変質させることができる。異世界への窓がリアクションをするようになったことで、眺めがさほど変化することのない固定された窓を自室から見るような行為(内→外)から、自らが街をハイスピードで移動しながら他者の家の窓を覗き込むような行為(外→内)へと移り変わっているのだ。
今展示では、二つのシリーズを配置、または隣り合わせて展示する。
様々なマテリアルに印刷されたラスタ画像の上に網戸のように糸を引き、外から覗く窓として構成したデジタルイメージと、明治維新が齎した産業革命と日本画の興り、現代日本の都市風景の象徴として日本画材を用いて制作した縞鋼板のシミュレーション。それぞれが内側と外側の世界を担当し、また展示空間で再配置されることで自身が考える絵画性への追求を試みた。
デジタルイメージが生まれてから半世紀以上が経ち、人間の手を介さずともイメージを生成できる時代になった。もし絵画の”異世界への窓”としての役割が終わったとすれば、絵画性とはやはり身体性に帰結し、身体性こそ人間性と言わざるを得ないだろう。
デジタルを元請とし、人間が自らの身体を依代とした機械へと成り下がることで、これを企図した自分自身が人間性を産み出せることを期待している。
2024年06月07日(金) - 2024年06月19日(水)
11:00-19:00※土・日・祝日・最終日は17:00まで
作家在廊日:
6/7(金)
オンラインストアは2024年6月07日(金)12:00~2024年6月26日(水)まで