実感のない他人事として消費されてゆく他者への関心をテーマに、国内外で発表を続ける高見基秀の個展「岸を隔てて火を観る」を開催いたします。
東日本大震災を山形で体験した高見は「それまでも大きな地震はあったのにも関わらず、自分が被災したときにだけ非日常の中でのアートの有用性を説く姿を見て」不信感を感じたことや「時間が経つごとに忘れ去られていく原発の問題」をきっかけに人の移ろいやすい心や共感性に着目し、その奥底にあるものを独自の世界観で視覚化させた作品を描き始めます。
能登半島地震、ウクライナ紛争やパレスチナ問題などの国際的な紛争、会社、家族、そして作家自身が身を置くアートという領域。異なる国や状況の中でも見られる“自分以外”への関心の在りかたの構造的な類似性。“対岸の火事”のような心の在り様は高見の作品を構成する中心的な要素とも言えます。
車や家が燃えるという事象を人工的な模型の木やジオラマを使い、あえて解像度の低い偽物の風景のように描かれた作品は、鑑賞者に”野次馬の目線”、“安全な立ち位置から災いを傍観する自分”という複雑な感情を体験させます。
鮮やかな色彩で描かれた衝撃的なイメージを眺める無機質な視線は、誰のものなのでしょうか。
高見の作品を通して“岸を隔てて火を観た”あとに感じる漠然とした不気味さや居心地の悪さは、しかし、それと同時に私たちに今や未来に目を向けるきっかけを与えてくれるのかもしれません。
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「Danielle Winger -The Shape of Water-」
会場では、日本で初めての発表となるアメリカ人作家 Danielle Winger の作品を4月の靖山画廊での個展に先駆けて展示いたします。
Artist Statement
展覧会タイトル「岸を隔てて火を観る」というのは、他人の災難に対して手を貸して救おうとせず、ただ見物や傍観していることを指します。
これは対岸の火事と同じ意味でもあり、無関心な心の有り様を表した言葉になっています。
このテーマで作品づくりを始めたきっかけは3.11によって被災した時からでした。それまでも大きな地震はあったのにも関わらず、自分が被災したときにだけ非日常の中でのアートの有用性を説く姿を見て不信感をもったのがはじまりだったと記憶しています。
また、地震に関連して当時大きな関心を集めていた原発の問題も自分の制作の動機付けに繋がっています。事故による放射性物質がどのような害になるのか、当時は命の危機として世間の注目を集めていたのにも関わらず、時間が経つごとに忘れ去られていく現状に人の関心のうつろいの早さを感じました。
2024年1月に起きた能登半島沖で発生した地震でも、自分の認識できる範囲でしか世界を捉えられない発言をしている人がSNS上で多く視覚化されていました。その発言の良し悪しはさておき、ここでも私は人の他者に対する関心を持つことの限界性を強く感じました。
普遍性という観点から見ても世界をどのように捉えるかは個々の個人的な感覚的な話で終わるものではなく一般的な共通の認識として存在しているものだと思います。フランス人哲学者のアンリ・ベルクソンは「目は心が理解する用意があるものだけを見る。」という言葉を残していますが、人は自分が想定する世界という枠組みの中でしか物事を正しく捉えられない、関心を持てない生き物なのではないか、という点は広く人類の共通の命題として存在しているように感じます。
ウクライナやパレスチナのような国際的な問題や、会社や家族といった小さい単位でのコミュニティ、あるいは自分が身を置く美術やアートという領域など、具体的な事象をあげればきりがないですが、自分以外に対する他者への関心のありかたというのは、構造的には似ているのではないかと感じています。それはひとつにはまさしく冒頭で述べた対岸の火事のような心理であり、その心のあり様こそが私の作品の中心的な柱になっています。
私の作品は一見すると風景画の様にも見えますが、よく見ると人工的な模型の木やジオラマを使っていて、本物っぽいが実はそうではない架空の風景となっています。これは意図があり、絵を見ている人が対岸の火事を見る野次馬と同じ目線を持つ構造になっていて、その目線を絵画的に構成するのであれば、実際の風景ではなく偽物の風景でも代替可能なのではないか(つまり野次馬の目線は他人事への関心がなく解像度が低い分、本当の風景ではない偽物の風景でも目に映る情報の量は大差がないのではないかという皮肉)という作者側からの投げかけでもあります。
同じ理由で、画面中央で燃えている家や車も、幾何学的で整った造形というよりは、手で適当にこねて作った様な雑な造形になっています。
私を含め、心理的距離に関わらず常に全方位に関心をもつことは相当難しいことです。わたしは無関心であることが良いか悪いか述べたいのではなく、そのような人間の心理的な限界がすべての人に逃れられず宿命のようにあると思っています。また、対象と当人の間にある無関心を先に述べた方法で視覚的に表すことで人の無関心という漠然とした不気味さや気味の悪さを表現できればと思っています。
- 高見基秀 - |
2024年03月08日(金) - 2024年03月10日(日)
【会期】3月 8日(金) 11:00-19:00
3月 9日(土) 11:00-19:00
3月10日(日) 11:00-17:00
【会場】
東京国際フォーラム・ホールE(東京都千代田区丸の内 3-5-1)
靖山画廊ブース:N003