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米軍による初めての本土爆撃のあった年に東京に生まれた海老原暎。幼少期から絵を描くのが好きで、来る日も来る日も身の回りのものを描き続け、家業の町工場を継いで思うように制作が出来ない時期も描くことへの渇望は衰えることは無かった。
自らモチーフを探すことは無く、「心の中に”ポチャン”と落ちてきた」ものを独自の感性で表現する海老原の時代や流行、性別の垣根を超えた作品をぜひご高覧ください。

「唐辛子 red peppers」
1999年
h86.7×116.1cm
アクリル、合板

 

何かが私の心にフッと落ちてくる。その“物”ではなく、その“事”を造形したい。
いわゆる具象の「風景」「静物」「人物」などとして描きたいのでは全くなく、落ちてきたそのことに造形の感度を集中し実現したいのです。
色、形、線などを独立した造形の要素として楽しみたいのです。
- 海老原 暎 -

 

1942年に東京で生まれた海老原は、父親が出征した為、幼少期を母の実家があった福生村(現・東京都福生市)で過ごした。豊かな自然の中、友達や妹と一緒に遊ぶことも好きだったが、一人絵を描く事は格別であり、また息をするように当たり前のことだった。

子供の頃から指導されたとおりに同じような絵を描くことには全く面白みを見出すことが出来ず、また絵で人と群れることが嫌いだった海老原だが、多摩美術大学に進学した後もその姿勢は変わらず、アメリカ美術が良いとされ、周囲が抽象画に傾倒する中でも「自分自身の中から来る“事”から離れることは出来ない」と「ダサい」具象画を描き続けた。

1971年の個展「殺人現場見取り図展」で話題を集めると、1974年の「日常の窓シリーズ」、1977年の「ベンチシリーズ」で高い評価を受け、また1969年に制作した油彩画「1969年3月30日」(神田日勝記念美術館蔵)は、神田日勝(1937-1970)の代表作「室内風景」(北海道近代美術館蔵)に強い影響を与えた。

その後、順調に進むかに思えた海老原のキャリアだが、1977年に家業の町工場を継ぐことになり一変する。目まぐるしい生活に追われ制作も出来ない日々が続く中、「心の中に”ポチャン”と落ちてくる」ものを描きたいという自分自身の中から来る声を無視し続けることは出来ないと再び制作に打ち込む。

「唐辛子 red peppers」は、工場経営から撤退し移り住んだ静岡県伊東市での体験がきっかけとなって生まれた。ある日、家庭菜園をしていた夫が、トウガラシの束を腕いっぱいに抱えて持ち帰ってきた。その大きなトウガラシに圧倒されたという気持ちを鮮やかなコントラストでまっすぐに描いた作品だ。

2021年05月14日(金) -  2021年06月10日(木)

11:00~17:00
※完全予約制となります。
※日・祝休み

〒104-0061 東京都中央区銀座5-14-16 銀座アビタシオン2階
Tel:03-3546-7356
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※緊急事態宣言発令を受け会期が当初の5月7日(金) -  6月3日(木)から変更となりました。